1921年7月20日にカナダ、マニトバ州、ブランドン市で大城蒲助と正子に長男ロイ昇が生まれる。
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ロイ、1歳 |
1930−1932、世界大恐慌の間、母正子と息子3人は沖縄に行き、カナダにいる父親から仕送りを受けながら親戚と住んで、天願小学校に出席する。
1932年にカナダに戻り、バンクーバーに住むようになり、小、中、高校の間、英語の学校の放課後、日本語学校でも勉強し、卒業する。西洋と日本文化の良いところを合わせて立派な日系市民を作りたいと思い、1941年にブリティッシュコロンビア大学に入学し、教育学を専攻する。
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大学1年生のロイ |
1942年に日本の真珠湾攻撃の結果、日系人は強制的に退学となり、ロイの家族はアルバータ州に移動させられ、砂糖大根の農場で働く。
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弟明・ジョージ
ロイは後ろ |
後ほど、戦争のために教師の不足が起こり、カナダは特別教育学の学びを提供し、ロイは教師免許を取得し、カナダで最初の日系人公立高校の男性教師となる。
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表彰状 |
1948年にクリスチャンの同僚の影響もあり、伝道集会に出席し、マルコ8:36のメッセージを聞き、魂の大切さを考え、クリスチャンになる。すぐさま、沖縄の親戚にもこの大切な教えを知らせなければと思い、翌年に教師の職を辞め、神学校に行き、聖書の学びをする。1954年に卒業し、宣教師となり、1955年に沖縄に行く。
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独身時代のロイ |
宇堅、首里、石川、石垣、平川、と様々な所で教会を開拓し、人々が真の神様に心を向けるように努める。
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当蔵の教会の祈祷会、1959年 |
2006年に85歳で宣教師の仕事を引退し、2016年に召天するが、多くの信者により伝道の働きは続けられる。