10月30日の礼拝のメッセージは、らい病人が癒された話しだった。
「らい病のことは分かりますか?」と牧師先生が言ったとき、
自分は川端さんのことを思わずにはいられなかった。
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川端トミ姉は、1950年代、らい病のために隔離されていたときに救われた。
病気が完治後、彼女は家に戻った。健康と霊的いのちをてにした川端姉は、
周りの人に証し、村に教会が与えられるように祈り始めた。
1958年、宣教師大城昇・君子先生たちが、宇堅村に開拓伝道をしに来た。
「大城先生、あなたが来ることを待っていたのですよ。」と暖かく迎えられた。
そして、川端姉と数人の信者の証のため、村の30名ぐらいが集まって
米軍が要らなくなったかまぼこ型兵舎の建物をもらって
宇堅福音教会を建てることになった。
しばらくしてから、村の子供たちは、「むらのちいさききょうかい」を、
「むらのカマボコきょうかい」と、歌っていた。♪
天の神は、一人のらい病人の祈りを答えてくれたのだろうか。
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現在の宇堅福音教会 |
私が覚えている川端トミさん:
毎朝、目が覚める時、「ああ、神様に愛されているんだと、思い出して
一日を始めることにしている」と、言っていた。
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百歳まで生きたいと言っていた川端さん。百歳まで生きた。
「神の恵みのトロフィー」の一人だと、父が言っていた。
私たちを暖かく見守って愛して下さる神様に、
自分も心の目をしっかりと留めておいて
生きたいと思う。