The person living up in Kumamoto Prefecture knew my sisters and me growing up in Okinawa, but I realized she did not hear about incidents that happened while we were in the U.S., when our missionary parents were on furlough, as the below. I shared it with her, so I will put it here for other readers of Japanese posts, and follow it up with the English explanation--the reverse order of what I usually do!
アメリカ本土のワシントン小学校に入学したとき、一学年下のクラスに入れられました。この学校では、海外から来る子供は、学年の実力が証明されるまで、そうされることになっていました。ということで、5年生のジョイス(里子の英語名)は、4年のクラスに入れられ、3年の私は、2年のクラスに、2年のジャニス(愛子)は1年のクラスに。
ジョイスはおしゃべり屋さんだったので、最初の日から先生はすぐわかったみたいです。この子はできる。この学年のレベルでは、あたまが良すぎる。長くこのクラスに置いたら、退屈で勉強をする気をなくすだけ。2日目から、ジョイスは元の学年に戻されていました。ジャニスの先生は、数日間様子を見て、彼女を次の学年に上げました。私は一週間しても同じクラスだったので、心配し始めました。(妹のジャニスと同じ学年だったということです。)
母のところに行って、「私、いちばんバカなのよね。」と言いました。「ジョイスとジャニスは、自分のクラスに上がることができたけど、私はダメだったの。」泣きたい気持ちになっても、仕方がないと思うしかありませんでした。
母は早速学校に行って校長先生と相談しました。「ジューンだけができないということではありません。」と校長がいいます。「おとなしいから、忘れていただけです。本当に済みません。」翌日、自分のクラス(3年)にい入ることになりました。よかった。あたまがいちばん悪いということではなかったんだ。
私がクラスに入る前、他の同級生は、cursive(続け字)の書き方を習っていたので私はひとりで家でそれを勉強しなければならないと先生に言われました。私はバカじゃない、できるはず、という気持ちで一生懸命勉強し、一晩で続け字を学習し、翌日、それを使って話を2つ書き、先生に提出しました。「字を覚えました。これから、勉強についていけます。」と。母にも先生にも、よくがんばったと、褒められました。後期にミシガン州の「若者著者コンテスト」があって、一人一人本をつくることになっています。私の書いた猫の話(イラストも自分でしました)は学校代表に選ばれました。
市の代表は近くの体育館で集まり、ミシガン州大学にバスで行きました。そこで、小さな部屋で他の学生十人と審査員教師たちの前で自分の作品を読みました。ミシガン州代表に選ばれたのは、動物物語集を書いた中学2年生でした。私は学校を代表することができただけで嬉しく思いました。
やっぱりバカじゃなかったんだ。神様、あの日、マミーを校長に会いに行かせて、本当にありがとう。