Time for another doctor's visit. Here's something treating in Japanese the Dec.20,'22 post, referring to my love for drawing from when I was little.
母が裏庭の小さい畑にある野菜を料理してくれて、ジューシご飯を美味しく食べたりしたのを、覚えているが、甘いものも時々家にあった。父は牧師だったので、教会の兄弟姉妹からのお菓子がたまには家に来た。だけど、「ケンカのもとになる」ものは、ダディーの(パパの)書斎の机に消えた。
自分は小さい時から絵が描くのが好きだった。ある日、空のお菓子の箱を見つけて、父の絵を中に描いて、誕生プレゼントにあげた。りっぱな図枠に見えたの。いっぱい絵を描き続けたし、父母は、宣教の仕事の為に私の絵を使ってくれた。アメリカの教会に送っていた報告の手紙のイラストは、多くの場合、自分に絵をお願いしていた。
ある日、ハシゴに登っている象の絵を描いてくれないかと、母にお願いされたとき、自分はすぐ描き始めた。天気予報は、台風と言っているけど、父は離島伝道からまだ帰っていない、家のとたん準備などは一人でしなければならない心細い気持ちを、その絵で伝えたいと、母が言った。え?自分が描いているのは母だった!?