I need to go to the clinic today. But I decided to post a memory about a visit to the clinic when I was a little girl.
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Grampa Oshiro (Daddy's father) seemed like such a kind, gentle old soul. But I realized nothing seemed to faze him because he was probably made of steel. I still remember the summer he and Gramma visited and we were out wading in the Yaka Beach--well, us girls still couldn't swim, but Daddy and Grampa could. You'd think my Dad would go swim, but an old man like Grampa would stay in the shallow water, right?
Nothing doing. Grampa was out where the water was way over our heads, probably not with the powerful strokes of a younger man, but comfortably pushing it around under him as he made his way through it, like he owned the place.
He came back only when he heard one of us--me--yell I thought I was stung by a jellyfish. We had seen a lot of them bobbing around a few days before, and they hadn't bothered us. But today, when they submerged and you couldn't see them, if you bumped into them, well, you felt the smart whip of their tentacles...
My mother rushed me to the military clinic nearby where the wound was treated with antiseptic and the best modern medicine...but it ended up getting swollen, infected, and I wore an ugly scabby scar above my knee for years.
Grampa, however, went swimming everyday for a week after that, and when asked if he never bumped into jellyfish, he said matter-of-factly:
"All the time. But whenever we boys got stung by jellyfish, we just scooped the wet sand from the bottom and held the dirt on the sting. It draws out the poison, and you can go on swimming after that."
He's been doing this for 70 years? Mommy shook her head, acknowledging, "I guess God gives some things in natural creation--like mud---modern technology just can't match."
スクリューテープの手紙24と25
苦悩さん、
あなたの患者の女性のことですが、彼女の弱点を見つけたと思います。はっきりした信念の輪のなかに守られて来た多くの女性はこの弱点をもっています。同じ信念をもたない者は愚かであるに違いないという考えです。実際は無知と無邪気から生まれたものですが、信仰によるものだと思い込んでいます。
あなたの患者は別です。社会のことはよく知っていますが、クリスチャン生活についての事柄はほとんど新しいです。この女性がもつ雰囲気をまねしようとさせてください。そして霊的高慢に陥させるのです。
彼の環境のことを考えてください。この家族はクリスチャンホームだけでなく、よい教育を受けて、あたまがよくて、社会によく合うものです。キリスト教のためにでなく、これらのために家族を誇りと思わせてください。それに、恋をしているので、実際彼女のために周りがよく三重、会話も面白く聞こえるのですが、自分の言葉は家族の意見を行っているだけなのです。彼らと何かの霊的きずなを感じるのですが、実際は恋に引かれているだけです。
ここで機会をつくってください。敵は性的愛情とか主の奉仕に進んでいる人を用い、彼を高い地位に導いていますが、これを利用してください。この人たちは自分の地位に合うのだと思わせるのです。彼が社会に戻るとき、彼らを面白くないと思うようになるでしょう。社会はエキサイティングなものを与え、この新しい輪は退屈させるだけだと思わせてください。私たちクリスチャンは世と違うと、彼に思わせるとき、気を付けてください。彼らの愛と謙遜のために僕を受け入れてくれた人より、僕がクリスチャンとしての権利をもって交際している人、と考えさせるように。
成功は混乱のうちにあります。私たちクリスチャンが高慢になると敵の忠告を受けすぐ気が付くと思います。それで、特別な輪に属していることを何となく感じさせてください。未信者が言っていることを面白く考え、現代キリスト教の理論をにぎったりさせてください。理論が真実であるかどうかはかまいません。キリスト教が不思議な宗教であると感じさせ、自分はその秘訣を手にいれたと考えさせるだけでいいのです。
スクリューテープ
苦悩さん、
あなたの患者はクリスチャンだけなので問題です。信仰の代わりにクリスチャンの危機、クリスチャンと新しい心理学、クリスチャンと信仰の癒し(異言派が行うもの)、クリスチャンと超自然の研究、クリスチャンと菜食主義。
人間の心に日常的ものに不満を感じさせ、もっと目覚ましいものを求めさせる願いを置くのです。これから異端、誤ったカウンセリング、結婚の不貞、気まぐれな友情などが起こるのです。
人間は時間と空間の存在なので、が変化を求め、同時に永続性を願います。敵は両方が満たされるように季節というものを造りました。毎年新しく感じるものでありながら、毎年確かにあるものです。我々は食欲を用い大食をつくりますが、敵は違います。祭日一つ一つに特別な食べ物を楽しむことが出来るようにと、考えています。
我々はこのものも様々な機会に変えていきます。このような楽みはお金が必要なので、結果として貧欲か不幸、あるいは両方を引き起こすことができます。このように日常なものに不満を感じさせるのです。もちろん、ファッション・流行を通してこの気持ちを更に感じさせてください。
今日の思想も日常状態から目をそらせるようにしてください。物質的、生温かい社会の時代は、興奮の危険を考えさせ、一世紀後、人が感情に酔うようになったら、知識のみの危険性を述べさせてください。
最終的に、人間の動機・意志を操ることができるのです。敵は単純の質問をだします。「正しいでしょうか。賢いでしょうか。可能でしょうか。」が、我々は、他の質問をさせ、「社会の一般のうごきに会っているでしょうか。進歩的でしょうか。反動的でしょうか。歴史は同じ方向に進んでいるでしょうか。」混乱させます。なぜなら、このような質問は人間に答えられないものだからです。未来のことをこのように迷っている間、我々は我々の立てた計画の方に物事を曲げることができるのです。
スクリューテープ