Oct 11, 2024

WHOAH スクリュー28と29

"Whoah." Unless a horse heeds THIS instruction of the Master, he is well-nigh useless.

It felt like the Father was signaling to me a "whoah" in reference to the "Mini Museum". It feels like I've been moving furiously, almost obsessed, with all the thoughts it feels God has been giving me about what He wanted me to do here. But all of a sudden, it felt like He said, "look at your Sept. 5 post 'Next Post New Pics...'.

Pictures--all 300 of them--have been taken down and categorized, have been made into digital files and entered into the computer. The screws and supports for them have been removed. Decorative borders, have been taken off. Pencil marks have been rubbed clean. Kinya took out old extra electrical wiring systems. Four slide shows have been composed.

Daddy's sermon notes are arranged in decades. Prayer letter folders are in chronological order and sitting on the bookshelf in the study, next to memoir albums. Above them are the relatives' photo albums, a shelf for ministry photo albums divided into early years with CJM, active years with FEGC, and later years with BMM, as well as his final years with BWM.

All the Lloyd-Jones books Daddy lent me have been returned. His Romans and Ephesians sets are now complete and line his back bookshelves--which have been cleaned.

Maybe the month of September, it was a good thing God kept the temperatures too high. for me to go outside. There was plenty of me to do in here.

Would you continue to pray? As the temperatures have dropped, the Lord has made it possible for me to walk several minutes away where my cousin lives--I posted about her several times--and visited her yesterday. She's in her 70's now but doesn't know the Lord yet.

And it seems now the Lord is saying He would have me let go of any more work on this "Mini Museum", to exult in paths He has trod in the past...just do things from time to time as he brings them to mind--but for now to turn onto new paths he wishes to travel.

No horse would be useful to his rider if he kept galloping in one direction, heedless to the whoahs cast in his ears now, would he?


スクリューテープ28と29


苦悩さん、

いままでのあなたからの手紙で心配させられています。我々の状態・目的をほんとうに知っているのでしょうか。戦争があまり重要でないと言ったのは、それからあまり期待しないようにという意味で、全く無関心になるようにということではありません。あなたの患者がいる所に爆弾が落とされることをあなたは嬉しく書きましたが、人間の苦しみの目的を忘れたのですか。人間を敵から引き離すことになったらいいのですが、あなたの患者の場合、こういうことになりません。彼の死を避けたいと思います。

彼は我々の攻撃に立ち向かっています。世的友人から離れ、クリスチャン女性と恋をし、霊的生活を攻撃されても、いまのところはしっかり立っています。戦争のために、女のために、他人のことに心を配り、敵にたよることを覚えています。いま死んだら我々は彼を永久に失うことでしょう。

死と言う者は恐れるべきものだと人間に思わせていますが、我々もこの嘘を信じてしまうのは、とんでもないことです。他のクリスチャンも彼の安全のために祈っているかもしれませんが、いまのところ、これはあなたの最高努めでなければならないのです。戦争を生き残し、年を取ると、物質的考え、よい評判と安楽を欲しがる願いなどを通して彼を倒すことができるでしょう。

若者は理想的物を求め、観念に目が引かれます。宗教でなくても、音楽・詩・鳥の歌・景色などを考えます。我々はこういうものを哲学・心理学を通してこの世の者で実現するものだと考えさせなければなりません。もちろん、経験・成熟に高慢を加え、真の世的死を求めさせるのです。

とにかく、あなたの患者を長生きさせ、堕落させることに心がけてください。

スクリューテープ

苦悩さん、

ドイツ軍があなたの患者が住んでいる町を爆撃すると聞きました。これについての我々の作戦ですが。

恐怖感と憎しみを合わせて彼に与えるのです。臆病のみは苦しいだけです。予想するのみ苦しい、感じれば感じるほど憎しみで払い返すことでしょう。

自分の憎しみであると気づかせないで下さい。周りに苦しんでいる女や子供のために攻撃を憎んでいるのだと考えさせるのです。

注意深く動かなければなりません。歴史上、人間は臆病を恥と思い、悔い改め、敵の側についてしまうことがあります。平安のときは、善悪を考えないでいられますが、危ない状態の場合は違います。敵が危ない世を造ったのもこの目的を心に留めてあったのでしょう。道徳的事柄を考えないではいられないからです。

ということで、あなたの患者を臆病にするのも我々にとって危ないことかもしれません。一方、自分の臆病に気づき、絶望に陥るのは、大きな勝利となります。他の罪は赦されても、このような深い罪のために哀れみを求めることはできないと思わせることができるでしょう。

恐れを引き起こすために、彼の考え方を少し曲げてみてください。「私はここでーーをしなければならない」という考えを忘れさせ、「Aが起こってしまうと、Bをすることができるし、最悪が起こってしまった場合、Cができる」と、考えさせてください。敵に頼るより、他の作戦に保証を、安全を求めさせるのです。

恐れの感情のみは罪になりませんが、緊張を積み立て、一瞬間で臆病の行為を起こしてください。

スクリューテープ