But exquisite covers aren't what makes photo albums valuable: it's what's inside! Here are a few more pics from a GOLDMINE album on one of the bookshelves in Daddy's study.
スクリューテープの手紙8と9
苦悩さん、
あなたの患者が宗教的事柄から離れていることを期待していると手紙に書いてありましたが、波動の律を知らないのですか。人間というものは霊であり、動物でもあるので、永遠のことを考え、時間の中にも動きます。一生変わって行くものです。霊的事柄も、職業・友人・肉欲・精神も・全て波があり、主な原因は我々の働きの結果でなく、人間の構成の自然な動きなのです。敵は時々波の一番低い所で働き、優れた者を形造ります。
というのは、敵の目的と我々の目的は正反対と言える程違うからです。人間を獲物と考える彼らの意志を我々の意志に飲み込もうとするのですが、敵は違います。人間に対しての愛、奉仕の完全な自由をいうものは、単なる主張でなく、全く真実なのです。自ら彼(敵)を愛し仕えるという従順を求めているのです。信じられますか。
ここで波の低いところにきます。敵は、自分の存在を人間の魂に示すことができるのに、納得するまでそれができるのに、なぜそうしないのだろうと、考えたことはあるかもしれません。抵抗できない、議論できない相手を説得する・攻めることは、彼の性質そのものを考えると、絶対しません。人間の意志を無視することはできないのです。人の心を奪い去るより、求愛するしかないのです。被造物が彼と一つになり、同時に同情をもつことを 願っています。もちろん、初めの頃は、自分の存在を感じさせたり、精神的祝福を与えたりし、誘惑に打ち勝つちからを備えてあげますが、このようなことは長く続きません。外側からの支え、動機などを引き取り、喜びがなくなっても、意志のみで従うことができることを求めます。そういうことで、波の一番低いときにささげられた祈りこそ彼を喜ばせ、この期間に被造物は彼を喜ばせるような者に形造られるのです。歩くことを学ぶため、彼は自分の手を引き取ります。人がどんなにつまづいても、歩きたいという石がある限り、敵はこれを喜ぶのです。
苦悩さん、忠告させて頂きます。人間は願いそのものを失い、それでも敵の御旨を果たそうとするとき、宇宙を見回し、彼が全く消えているように見え、自分が見捨てられたように見えてもーーそれでも従うときこそ、我々は危険な状態に攻め込まれているのです。
スクリューテープ
苦悩さん、
波の低いところに色々な機械を見つけると思います。正しく利用してください。肉欲の誘惑、特に性的なことに弱いときでしょう。波の高いところは肉体的エネルギーがもっとあるので、肉欲も高いのではないかと思うかもしれませんが、誘惑に立ち向かう力も高いのです。そういう訳で、人の心が暗く、冷たく、空であるときに攻撃されると負けることがしばしばです。他の娯楽は全部同じです。楽しみの道を禁じられた。異常な方向に向けさせることによって父を喜ばせるのです。自然な状態、(健康、精神など)から離れたところではたらき、真の楽しみをなくすように努力するのです。
患者が自分の状態をどう考えるか、これも利用してみてください。波動の律に気づかないように努めてください。落胆しやすいタイプは、経験のあるクリスチャンんに会わないようにし、以前の気持ちを自分の意志のみで取り戻そうと考えさせなさい。一方、希望をもつタイプは、自分の状態はあまり悪くないと、考えさせ、生温かい歩みで満足するようにするのです。
あと一つの道は波の信仰を関節に攻撃することです。私はこのことについての興味を失くしています。という表現はこのことについての興味をなくしていますという表現で始まり、このことは誤りですと、いう結論に論理的に終わることはできませんが、理性にたよるより、ことばを利用する方がいいと思います。特に「機関」ということばを使ってください。自分が進んでいることに高慢になるでしょう。
スクリューテープ