Oct 4, 2024

LORD SENILITY'S BIBLE スクリュー14と15



Most people put up pictures of themselves that are flattering, but I was shocked at the way Daddy taped this picture in his study.

He titled it "LORD SENILITY". He'd written ボケさまunder the picture, and put it on the bookshelf, on the wall, on last page of photo albums! I think he wanted to make sure he didn't take himself too seriously.

But I wanted people to think well of Daddy, so I took the pictures down and hoped not too many people knew about them. I wanted to show the words of acknowledgement he'd received for over half a century of service, display the unquestionable time Daddy had spent in study of Scriptures.


I thought they represented Daddy better than that silly ole' picture!

Daddy's Bible. I so wanted that. I wanted to pick it up, browse through it, especially some of the passages we'd talked about, and see what notes he might've written in the margins. Mustn't, mustn't. I could see myself losing myself going from one passage to the next to see what Daddy found and messing up the pages of the precious museum piece that needed to last a long time...

I caught myself recalling the time I'd accompanied a friend almost 20 years previous, in northern Japan, whose father had been one of the first preachers in Japan. She'd told me her father's Bible was now kept under glass in a Christian museum. At that time, I'd said silently, "The Bible is a Living Book to give God's joy to men, not just to put on display!"

"Nah, you don't want people thinking about some senile old grampa," I knew Daddy would say if he were around; and he'd probably add: "Junie, if you want, you can get rid of this bookshelf and take the Bible to get a good look directly at the Lord Himself--that's better, don't you think?"


I thought: there was another handwritten reminder Daddy kept in the study: "No Spirituality without Humility." Humility. Screwtape talks about it today.



スクリューテープの手紙14と15


苦悩さん、


あなたの患者は、最初の改心のときのようには決心していないと聞いています。徳を高めるとか恵みを求めるとか。一日一日、毎時間でも誘惑に立ち向かうために必要な分しか求めていない、と。これはいけません。彼は謙遜になっているのです。特に謙遜の場合はそうです。霊に貧しい時、「私はなんとへりくだっているのだろう。」と彼に思わせてください。すぐ高慢になります。これに気づいて戦おうとすると、この戦っている姿にも高慢になるように努めなさい。


誘惑について あと一つの効果的方法。敵が謙遜を用いるのは他人に敵に仕えるためです。そういうことで、人が自分のことで夢中になるなら、謙遜を使ってもいいです。自分のことをいやになり、そこから他の人ーー自分に似ている者ーーのことをいやになり、結局は自分のことを忘れ仕えることに身をいれるより、悲劇的考え、暗い態度、残酷な思想、行為に終わることがしばしばです。


謙遜の真の目的を隠してください。自分のことを忘れるということですが、代わりに自分の能力・性格を低く思うことだと思わせてください。賜物は実際あるかもしれませんが、「真の謙遜は、それらに低い価値を与える。」と考えさせてください。事実、自分の思うより低い価値かもしれませんが、他一説なことは、徳になるものを偽りに変えるということです。美しい女性が自分のことをみにくいと思ったり、賢い男性が自分のことを愚かだと思ったりし、ばかげたことを信じられなくなり、その結果自分のことしか考えられなくなります。敵が望んでいるのは、人が自分のことを忘れ、その程度は、他の者の成功でも、自分の成功でも、同じく嬉しくなれることです。日の出・象・滝ーー全ての被造物、自分自身を含めてーーを優れた者を認めるようになることです。隣人を自分のように愛すことができたら、自分も隣人のように愛すことを望んでいるのです。敵は本当にこの人間を愛しているのです!


とにかく、人が自分に目を留めるようにするのです。大自惚れでもいいし、誤った謙遜でもいいです。人間は全てを創造者から頂いているので、高慢は自分で得ることはないのですが、このことを考えないようにしてください。

スクリューテープ

苦悩さん、


戦争が少し静まっています。さて、患者をどのように扱うべきでしょうか。恐怖で襲ったり、ばかげた自信をもたせたりすることができます。


人間は時間に存在し、永遠のために造られています。敵の知っている永遠を人間が少しでも理解できるのは現在の経験を通してです。永遠のことをーーすなわち、彼自身のことをーー考えたり、現在のことを考えたりすることを望んでいます。現在のことと言うと、良心に従うこと・十字架を追うこと・恵みを受けること・楽しみを感謝することです。


人を永遠から、現在から、目を離させるために、過去・未来に生きるようにするのです。とくに未亡人や学者は過去のことを考えさせる。未来は、希望も恐れも、もたらすので、人間はこれらのことを考えるとき、多くの場合実在しないようなことも考えます。未来と言ってもいろいろな形をとります。創造的進化論・科学的人道主義・共産主義。悪は主に未来に基づいています。感謝は過去を見、愛は現在五を見ますが、恐れ・欲望・肉欲・野心は先を見ますが、敵は違います。彼は人が将来のために一生懸命努力し、全てのことを天にゆだね、忘れ、現在の責任に力を入れることを喜びます。


したがった、あなたの患者が戦争のことを考えるとき、心配・希望ーーどっちでもかまいませんーーでいっぱいになり、現在のことを考える人でも、我々にはあと一つの道が残っています。自己満足という方法です。幸運な将来しかないと考えさせることができます。健康がよく、仕事も楽しみ、永遠のことを考える必要は少しも考えないからかもしれません。


スクリューテープ