学校での一年間の責任を済ませ、教師をやめ、神学校で宣教師になるためのくんれんを始めようと、決めました。
神学校に来た父母 |
息子が教師になった時、カナダ日系人の中で父母の評判は高くなりました。しかし、今までの親の好意が一変してそれは軽べつに変わってしまったのです。
宣教師になるため、教師の仕事をやめる?
2人は首をよこに振るしかありません。
辞職していたのですが、両親の反対のため、あと一年間教えるように導かれました。(その間、私の生徒数人が私の救いのために祈っていたことが分かりました!)
その一年間、父と母の反対はまえより弱まりました。赤ちゃんが成長すると宣教師になって日本に行くように、あのブランドン市の病院で、宣教師が祈ったことは、この時にも話してくれませんでした。
1年終えて、神学校に入り、宣教師になる準備をしました。
良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、主からの恵みをいただく。詩篇8:22
神学校の訓練が終わる頃、私はまだ「しあわせ」を、見つけていませんでした。
もう一人の二世宣教師からの(日本から)手紙にこう書かれてありました。「宣教地に出かける前にい助け相手を求めることを勧めます。」
祈りを通して求めるということは、私の様な若いクリスチャンには、まだ分かりません。それで、自分で「宝探し」をしなければならないと考え・・・
尊敬していた日系人宣教師に妹2人がいたことを思い出し、私はさっそく1人に手紙をかきました。
「海外で忠実に仕えているお兄さんをとても尊敬しています。わたしも宣教の召しを受けています。私と一緒に来て、お兄さんのように主に仕えませんか。お母さんは喜ぶと思います。」
でも、返事が中々来ません。下の妹は考えてくれるだろうか。
「お兄さんは主のために素晴らしい仕事をしていると思います。私も宣教地に向かっているのですが、どうですか。一緒にきませんか。」と、手紙を送りました。
返事がすぐ返ってきました。
「姉に同じことをきいたそうですね」と。
言うまでもなく、沖縄に出て行った時、私は34歳になって、「しあわせ」は、まだ手にいれていませんでした。
手にあったのはカナダのクリスチャンに約束された月々75ドルの献金だけでした。