「この方以外には、だれによっても救いはありません。」と、先生は読み始めました。
天国に行くためには、だれでもイエス様を信じる必要があると、言っているのです。
「でも、母はいつも祖母に祈っているし。イエス様という人に祈る必要はないと思うけれど。」
「世界中でこの御名の他には、どのような名も、人間に与えられていないからです。」と、読み続けています。
イエス様がたった一つの道、他のものは、いつかは足りないということが分かると、宣教師は言うのです。
でも、おばあちゃんは…急に祖母の死んだ時のことが頭に浮かびました。おばあちゃんに何回も何回も助けを求めた私は、おばあちゃんが死にそうになった時、隣の部屋で、『神様、たすけて下さい!』と、涙を流しながら祈ったことを思い出しました。
天国に連れて行ってもらうことをおばあちゃんに信頼するか、それともおばあちゃんが力がなくなった時に助けを求めたこの神に信頼するかを考えさせられました。
雨のことはすっかり忘れています。
「私たちが救われるべき名、」と、聖書のことばが耳にはいりました。
「私たちはみんな罪人です。その罪から救われる必要があります。その救いはイエスの名にしかありません。」
「罪人?」私は困りました。私は罪人ではありません!人を殺したことはないし、盗んだことはないし・・・」と、思ったら、数年前のできごとを急に思い出しました。
6歳の時、母の財布からお金をこっそり取って、近くの店でお菓子を買って食べたのです。このことはとっくに忘れていたと思っていたのに。
「盗んだことはあるのですね。」と、小さな声がきこえます。「と、いうことは、あなたは罪人なのですね。」
どんなに認めたくなくても、事実から逃げることはできません。
集会の終わりで、皆頭を下げて目を閉じるように言われました。
「今晩、イエス様の名を受け入れて罪から救われたいと、いう人はいませんか。」と、宣教師が尋ねています。「そういう人がいるならば、あなたのために祈りたいと思います。私が見えるように手を上げてくれませんか。」
「そんなこと、できない。」と、思いました。
1つのベンチにぎゅうぎゅうと、座っていたので、腕を少しでも動かしたら、隣に座っている友人はそれを感じる。そして、家に帰って、私がクリスチャンになったことを母に伝えるに違いない。それは困る。
「でも、君子、あなたは罪人なのでしょう。」と、小さな声が、また聞こえます。
「そう。分かっている。」
「だったら、救われる必要もあるのでしょう。」
「そう。わかっている。」
「だったら、手を上げなさい。」
「そんなの、できない!」
「でも、あなたは罪人でしょう。」と、声は言い続けます。
「分かっている。」
「救われる必要は?」
「ある。」
「だったら、手を上げなさい。」
「できない。」
この戦いがどのくらい続いたか分かりません。声はやみません。私はついに、腕を動かさないように気を付けて、人差し指をできるだけ高く上げました。
「ずっと後ろに座っている方」と、先生のっこ絵が聞こえました。「あなたを見ました。」
(「あなたの指を見ました」と、言わなかったのは感謝です!)
安心してほっと息をつきました。「よかった。神様は私が救われたことを知っている。私の指を見た宣教師先生も知っている。でもほかの人はだれもわからない。なんとすばらしいことでしょう。」
そのあとのことは全然覚悟していませんでした。
宣教師は、「みなさん、目を開いて、立って、最後の歌を歌いましょう。そして、手を上げた方は、前に出て来てもらえませんか?」
えっ? 前にでる? まさか!
「何のためにあれほど気を付けて指一本だけ上げたと思うの。」
「前に出る?そんなのとてもできない!」
「でも、君子、あなたは罪人でしょう。」さっきの声との戦いがまた始まりました。あとでわかってきたことは、これは聖霊の声だったということ。
「だったら、前に出なさい。」
通路は思ったほど長くありませんでした。宣教師も、聖書も、思ったほど遠くありませんでした。
取り成しの祈りの力のことを、あとで分かるようになりました。
アメリカの教会のクリスチャンがこの宣教師の伝道が聖霊の力で満たされるように祈っていたのです。その結果、聖書を見たことのないこの私が初めて福音を聞いたとき、真理を悟ることができたのです。
梅雨の戸外集会に雨が降ったことはありません。宣教師の奥さんがが集会の時、いつも後ろに座っていて、目を閉じてずっと祈っていることに気が付きました。その祈りの内容は推測できると思います。
その晩、帰る時、考えは2つの方向に走りました。
まずは、母のこと。私の決心のことを知った時、どんなに怒るでしょう。今晩はおそくなっているので、友人は直接家に帰って、私のことは、まだ母に何も言っていないだろう。だから、私は用心深く、遠回しの話し方を考えて、クリスチャンになったことをそっと終わりに言おうと思っていました。
でも、私の心はもっと明るい道をもたどっていました。罪が完全に赦されたという全き平安を知り、ほかのクリスチャン青年と一緒にこの新しい喜びを賛美しながら家に帰りました。
足取り軽くドアのそばに立っている母の所に行きました。不安はすっかり忘れて、「お母さん、私、クリスチャンになったのよ!」と、うっかり言ってしまいました。
「あっ・・・」
厳しく叱られると、思ったわたしは、びっくりさせられました。母は表情を変えたと思ったら、この一言を言いました。
「君子、晩いから、早く寝なさい。」
私はさっさと部屋にいきました。
その晩から、母と私の関係は変わりました。以前の協力のきずなが特別な戦いになったのです。
カワイ島の唯一公共郵送機関はステーションワゴン(大型乗用車)の「バス」1台でした。日曜午前のバスに乗り遅れると、教会集会に間に合わない。母はこのことをよく知っていました。日曜の日課仕事リストはいつも長くて、出かける前に全部済まさなければならないことになっていたのです。
大好きな母に挑戦しなければならないと、いう辛い思いをさせられました。でも、毎週日曜、朝早く起きてすべての日課仕事を済ませ、バスに乗り遅れることはありませんでした。
この様に戦いは3年間続きました。
その間、兄弟は一人一人救いの喜びを知るようになったのです。
学校でよく知られるようになりました。全校生のためのダンスパーティーが開かれても、「金城さんと伊芸家」だけは出席しませんでした。学友が映画を見に行った時、「映画産業や俳優ライフスタイルを家族のお金で援助することはできません。」と、主張し、私たちは行きませんでした。
以前よりも充実した生活を十分に楽しんでいたからです。教会青年会運動会の日、「お金はあまりないけれど、競争を全部かって、お金で買えるようなものをもらってこよう。」と、言いながら出かけました。帰ってきた時は、獲得した鉛筆、ノート等の商品でいっぱいでした。
音楽レッスンを受ける特権は与えられませんでしたが、教会のオルガンを弾いて見て、ハーモニーというものを勘でつかむことができました。家では4重唱をしてとても楽しかったと思います。
島の乱暴者も私のことを聞いていました。家に近づくと、下品な話は止まったそうです。「おい、やめろ・・・金城さんに聞かれるぞ。」
卒業後、銀行に好ましい仕事が与えられましたが、それと同時に小さな声、はっきりした声が、聞こえるのです。「君子、他のことを考えてみたらどうですか。」
他の事?
「数年前、イエス様を信じた時から、君子は相当変わって来たけど、このイエス様のことを一生ほかの人に伝えることができたら、どんなに嬉しくなるか、考えたことはありますか。とくに、聖書をみたことのないひと、救いの話を一度も聞いたことのない人に。」
あの晩の私みたい。
「そう。君子の様な人。でも、すでに福音の証のあるこのハワイででなく、君子の祖先のち、沖縄で。」
えっ? 私が? 宣教師のこと?
「とんでもありません!神様、私に宣教師なんて、とても無理だと思います。」
でも、「変な」宣教師に出会ったその夜、その時からの満足のことを考えてみると、はっきり分かりました。私のこれからの歩みは宣教師の道しかなかったのです。
銀行の仕事を断った時、周りの人に愚かだと言われたことは、仕方がないと思います。自分の兄弟さえ、「ねえさん、気は確か。」と、わたしのことをうたがっていたので。
母の反応?その戸外集会の3年後、母はイエス・キリストを自分の救い主として受け入れたのです。