車窓の外を見ました。次の駅。
住所氏名を書かないで手紙を送ったのは、この人。今度は「フォービデン・シティー」(禁じられた町)の前で会う約束をしている。どうかしら。初めて宣教地に出てきたということだから、まだ20代でしょう。私はこれで2度目。30代にもなっている。大丈夫でしょう。
白髪になり始めた人に会うと言うことは考えても見ませんでした。
電車は停止しました。道の反対側にレストランの看板がはっきり見えます。でも、そこにいる大勢の日本人の中から、一人の二世宣教師を、どうやって見つけるの。ま、行ってみましょう。
腕時計をみる必要はありませんでした。駅から人がゾロゾロ出て来るのをみて、電車が到着したことが分かります。昇、落ち着け。落ち着いたふりをするだけでいいから。
手にあるカードに目を留め、また歩き回り始めました。
昇、本当にバカだな。ここに向かっている大勢の人の中からどうやって彼女を見つけるつもりなんだ。
ちょうど2人がすれ違うところ、彼の持っている英語のみことばカードが彼女の目に入りました。2人は足を止め、相手の顔を見ました。
「大城さん?」
「金城さんですね。
フォービデン・シティーは高いときいていますけれど。」初めてのデートは渋谷デパートレストランのカツ丼になりました。
神様の御心をを確認するために時間はあまりかかりませんでした。
背景、飯、ビジョン、全部同じ方を向いています。
宣教団体は独身女性を開拓状態の宣教地に送ることは許されませんでした。終戦直後の沖縄は不安定過ぎるということで、君子は行けなかったたのです。ロイと一緒になれば、行けるように神様は働いてくれたのです。
3か月後、2人は創世記24:27を読んでいました。「主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」
「私たちが一緒に主に仕えるように導かれたことを感謝しましょう。」それ以上のプロポーズはなかったみたいです。2人はあたまを下げ、祈り、その時から結婚式の準備を始めたそうです。周りの宣教師・クリスチャンの祝福の言葉に囲まれ、新婚夫婦は沖縄伝道の仕事を始めました。そこで、ジョイス里子、ジューン智子、とジャニス愛子と、3人の娘が与えられました。
ファーロのためにアメリカに帰ったとき、2人は確信をもって詩篇84:11後半を証することができました。
主は恵みと栄光を授け、正しく歩む者たちに、良いものを拒まれません。
おわりに
「もし私がまだ結婚していなかったら?独身だったら、神様は私の心の願いをかなえてくれなかったことになるでしょうか?と、母はよくいいました。「いいえ、それでも心の願いをかなえてくれたと言えるでしょう。」と彼女は言いました。「なぜなら、私が主を心の喜びとしているなら、私が最も願い求めるのは主。主にのみ私は心が満たされるからです。」
母は、30年間の宣教の仕事を終えたあと、天に召され、深く愛していた救い主の顔を見つけることになりました。そのときまで、姉妹と私は個人的にこの神様にすべてを献げ、一生涯導きに従おうと決心していました。私たちも、母と同じように証しすることができるようになりたいと思っています:
「あなたは私に、いのちの道をしらせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」(詩篇16:11)
1980沖縄の庭で |